「岳は今、二十九歳だから……八年前は二十一歳の大学三年かな。朝日奈さんが岳に一目惚れしたのはその頃か。たしかに昔からイケメンで、大学でもよくモテてたもんなぁ、岳は」 「一目惚れって。でも……あの頃は二十一歳だったんだ」 私が見た若かりし頃の彼の姿は、いとも簡単に鮮明な映像として私の頭の中で再生される。 今の今まで、歳も名前も、どこの誰かわからなかったのに。 私が当時視線を釘付けにされたのは、二十一歳の二階堂 岳という名のモデルだった。「岳にもう一度会えて……うれしい?」 「うれしいというか、懐かしいです」 あの頃より一段と大人の色気を増した今の彼の姿を見ることができたのは、正直うれしい。 だけど、それ以上に懐かしさがこみ上げた。「言わなくて良かったの?」 「なにをですか…?」 「八年前に見かけてることとか……好きです、みたいなこととか」 「あはは。なにか言えば良かったですかね。偶然の再会に驚きすぎて、緊張しちゃって、そんなこと忘れていました」 私が笑いながら冗談でそう答えても、宮田さんは不機嫌そうな表情を戻そうとしなかった。 それどころか、さらに険しさが増した気がする。「今のは冗談ですよ。前にも言ったでしょう? 現在の彼の姿をもう一度見れたらそれで満足だって。今はすごく懐かしい気持ちでいっぱいで、それだけでいいんです」 その言葉に嘘はない。 今の私は二階堂さんに対して“懐かしい”という気持ちが大半を占めている。 好きだの、告白したいだの、間違ってもそんな気持ちは今は全然ない。 当時十八歳の私が、二十一歳の彼ときちんと出会って恋をしたならば、それはわからなかったけど。 あれから八年経ったのだから、――― 今は今だ。「朝日奈さんが八年間会いたいと思ってた男が、僕の知り合いだったなんて。世の中狭いっていうか、何ていうか……」 「ですね」 「しかも、相手は岳かぁ……強敵すぎて勝てる気がしない」 「……は?」 「でも、悪いけど諦めないよ。朝日奈さんのことは、そんなに簡単に譲れない」 普段とは違う真剣な表情で見つめられると、ドキドキが止まらない。 なのにその上、宮田さんは私の左手を取り、手の甲にそっと唇を落とした。 その行為が男の色気を含んでいて、心臓が一瞬止まるかと思うほどドキっと跳ね上がり、顔が紅
「宮田さんも来てたんですね」 真っ赤な顔でもじもじとする私をよそに、ひとりの女性が近づいてきて宮田さんに声をかけた。 高めの甘ったるく鼻に抜けるような、かわいらしい声だ。 赤い顔を見られるのが恥ずかしくて女性から視線を逸らせていたけれど、少し落ち着きが戻ったところで、そっとそちらを伺い見てみると…… 私が最初に綺麗な人だと目を奪われたモデルの、ハンナさんだった。 間近で見るハンナさんの美貌たるや、その光は強烈で。 肌も綺麗でスベスベそうだし、なんせ手足が細くて長い。 それに、誰もが美人だと評価するだろう彼女の顔は、美しすぎる。 目鼻立ちがはっきりしていて、まるで花が咲いたようだ。 私の目だって、マチコさんによって今日は相当大きくしてもらっているけど… そんなのと比べ物にならないくらい、彼女の目は元々が大きい。 こんなに大きな目の女性が、世の中にいるなんてと、思ってしまうくらい。「うん……そう」 「ハンナのことに気づいてたのに、宮田さんってば声かけてくれなかったでしょー?」 「人気モデルのハンナちゃんに、気安く声なんてかけられないよ」 「えー、なんでぇ~?」 少しばかり拗ねたようなセリフを言う彼女の表情がまた、見事にかわいらしさを演出している。「えっと……こちらは? お仕事関係のスタッフの方?」 彼女の大きな瞳が綺麗すぎて、吸い込まれそうだなと思っていたら、突如彼女が私に笑顔を向けてきた。「初めまして。リーベ・ブライダルの朝日奈と申します」 “お仕事関係”と先に言われたものだから、会社名を名乗ると彼女の顔がパーッと明るくなった。「ブライダル?」 「今度最上さん、ブライダルドレスのデザインやるから」 宮田さんが彼女にそう説明すると、にっこりと嬉しそうな笑みを浮かべた。 またその笑顔の威力といったら、誰でもが卒倒しそうなくらい綺麗だ。「えー、すごい! ハンナ、最上さんのブライダルドレス着たいなぁー! 宮田さん、ドレスのショーのお仕事、ハンナに回してくださいよー」 キャッキャと飛び跳ねるようなリアクションを見せたかと思うと、ハンナさんは宮田さんの腕を取り、ねだるようにベタベタとし始めた。 誰もが卒倒しそうな笑顔で誰もが目を引く美貌の持ち主である彼女に、こんな振る舞いをされてはなびかない男なんてい
「へぇー、思ってたより大きく載ってるじゃない!」「麗子(れいこ)さん、恥ずかしいですってば」「どうして? 緋雪(ひゆき)、写真うつりいいわよ?」「あんまり見ないでくださいよー」 お昼の休憩時間、人気の女性雑誌をパラパラとめくりながら、会社の先輩社員である麗子さんがニヤニヤとした笑みで私を冷やかす。 【 ウエディングプランナー・朝日奈(あさひな)緋雪さん 26歳 】 ブライダル会社で働いている一般人の私にとって、自分の顔が大きく載っている雑誌を目の前にすると、恥ずかしくて顔から火が吹きそうになる。 私は一年ほど前まで、式や披露宴、結婚指輪や引き出物など、お客様をサポートする実務に就いていた。 だけど今は企画部に移り、新しいプランの作成と、市場調査をおこなうのが私の仕事になっている。 そんな私に、雑誌の取材オファーが来たのは一ヶ月ほど前だった。 記者がどこで私のことを知ったのかはわからない。 だけど、なぜか私を取材したいと名指しで指名してきたようだ。『いいじゃないか、朝日奈。会社にとっても良い宣伝になるし』 私の上司である袴田(はかまだ)部長は、その話を聞いた途端、笑顔で大賛成した。『いや……でも、部長……』『働く女性特集の記事だってさ。朝日奈が優秀だからオファーが来たんだよ。大丈夫だって! それにもう取材OKの返事をしちゃったからなぁ』『え、えぇ?!』 否応なく、とは……まさにこのことだ。 私が断ろうと思ったときには、すでに部長が先方へ返事をしてしまったあとだった。 しかも、優秀だから、などと取って付けたようなお世辞まで言われて。 にこっとした笑みを向ける上司を目の前にして、力なくガクリとうな垂れたのを覚えている。 袴田部長は、四十歳で独身の男性。 元々、インテリアデザイナーを目指していたらしい。 十年ほど前、違う会社から引き抜きで我が社へやってきた人材だということは、他の人に聞いて知った。 たしかに部長は、何を選ぶにしてもセンスがいいし、アイデアも素晴らしい。 だから部長職に抜擢されたのだと思う。 そんな部長のもとで一緒に仕事がしたくて、私は企画部への異動を希望して現在に至っている。 部長が面白いと感じたもの、いけると思ったプランは実際に評判を得ることが多い。 だから私は純粋に部長を
『 この仕事に就こうと思ったきっかけは何ですか? 』 『 新郎新婦のお二人にとって、人生で最高に幸せで大切な思い出を、私も一緒に造ることができたらと思ったからです 』 いろいろと他にも質問は受けたのに。 この質問と回答だけが、記事の中で大きく太い文字で目立つようにしてあった。 ――― なんとも無難な回答。 決して嘘はついていない。そう思っているのも本当だけれど、それは自分の中の優等生的な回答だ。 実は他にも動機はある。だけどそれは堂々とは言えない、本当はもっと不純な動機だから。「朝日奈ー、ちょっと」 お昼休憩が終わり、午後の業務が始まってすぐ、袴田部長が私をデスクへと呼び寄せる。「これ、見たよ。なかなかいい記事じゃないか。というか、デキる女って感じだな!」 私がデスクまで行くと、わざわざ自分の顔の前に雑誌の当該ページを開いて袴田部長が私に見せつけてくる。 ……まったく。そのニヤけた顔を見るとふざけているとしか思えない。 袴田部長は楽しいことが大好きな性格だから、こうして冗談を言われることもしばしばだ。「お客様からも雑誌見ましたよって担当者とそういう話になるらしいよ。いや~、やっぱり朝日奈にしといて良かった」 「え?!」 「…は?」 ……ちょっと待って。今なんて言った?「私にしといて良かったって、どういうことですか? 先方から取材対象は私でと、名指しで指名が来たんじゃなかったんですか?!」 「いや、だから、それはその……」 「部長! まさか部長の差し金で私になったんですか?」 なにもかも部長の策略だった。確信犯だ。目の前のあわてた様子がその証拠。 そう考えた途端、私の眉間にはシワが寄り、眉がつりあがる。「悪かったよ。でも、評判いいよ? この記事」 苦笑いで首の後ろに手をやる部長を前に、あきれてなにも言えなくなってしまった。 もう過ぎてしまったことなのだから、今更怒っても仕方ないのだけれど。 騙されたことへの憤りからか、盛大な溜め息が自然とこぼれ落ちた。「用件がそれだけでしたら、仕事に戻らせてください」 口を尖らせ、部長にからかわれている暇などない、と言いたげに踵を返す。「あ! 待てって! ちゃんと仕事の話もあるから」 あわてて呼び止める声に、再び小さく溜め息を漏らしつつ気を取り直して振り向いた。
「だけど……海や森も、他社がもう手がけているよな。披露宴会場でのそういう演出は、すごく真新しい!とは言いづらい。ま、演出しだいだけど」 資料から一瞬顔を上げて私に視線を移し、部長はまた手元の資料に視線を落とした。「演出は例えばですが、お料理や食器なんかも全部一風変わったものにして……。でも、私が一番こだわってみたいのは新郎新婦の衣装です」 私がそう言うと部長は笑って顔を輝かせた。「衣装ね。なるほど。特にお色直し後の新婦のカラードレスが斬新なら、みんな印象に残りやすいな」「はい。動画や写真にもバッチリ残りますし」「海や森をイメージしたドレスかぁ」 少しは私の思い描いたものを面白いと思ってもらえたようで、私も自然と笑みがこぼれる。 やはり結婚式や披露宴の主役は女性である新婦だ。招待客も自然と新婦のドレスに目がいくと思う。 ならばそれを、いっそのこと大胆な演出のものにしてしまったらどうかと私は考えた。「とりあえず新作ドレスの製作だけは先に上の許可を取ろう。企画をまとめるのは、その目処がついてからだ」「はい」 部長の言う『上の許可』というのは稟議書のことだ。 もちろん私や部長の一存で、勝手に会社のお金で高額なドレスを作ることはできないから、それ相応の手続きがいる。 最近は新作ドレスを作ろうとする動きはなかったし、衣装部と相談してドレスの入れ替えのためだと強く言えば、おそらく稟議は通るんじゃないかと思っているけれど。「だけどデザイナーに依頼すると言ってもなぁ。うちがいつも頼んでるデザイナーに、そんな斬新なデザインを描ける人間がいるかどうか」 指をトントントンとデスクの上で鳴らしながら、書類を見て考えこむ部長を前に、私はひとりほくそ笑んだ。「そこで部長、相談なんですが」「ん?……もしかしてなにかアテがあるのか?」「アテはありませんが、依頼してみたいデザイナーはいます」「ほう」 それは最初に新作のドレスのことを考え出したときから、思いついたこと。 斬新かつ美しいドレスのデザインならば、私の中で是非依頼してみたいデザイナーがいるのだ。「最上梨子(もがみ りこ)っていう新進気鋭のデザイナーなんですが」「あぁ、知ってる!」「そうですか!」「この前俺が見に行ったショーにも参加してたよ。曲線美っていうか面白い発想のデザインだよな、彼女は
「ま、当たって砕けろってやつだ。取材はNGでも、デザインのオファーなら受けてくれるかもしれんしな」 「……はぁ」 「でもお前、真面目だからなぁ。あんまり頑張りすぎるなよ?」 最後はふざけた調子で、部長は私の頭をちょこんと小突いた。 仕事する上で、真面目のなにがいけないのか教えていただきたいものだけれど。 しかし、最上梨子……小難しい人だったらどうしよう。 私が意気揚々と張り切ろうとしていたところで、出ばなをくじかれた形だ。 何事もそんなに全てトントン拍子にうまく進むわけがないのだから、部長の言うとおりダメ元で当たってみるしかない。 とにかくアポイントを取ってみなくては話にならない。 悩むのは、実際に断れてからだ。 私は大きく息を吸い込んで深呼吸し、最上梨子デザイン事務所へと電話をかけた。 ―――― これが気苦労の始まりだと、知りもせずに。 最初の電話だけでオファーを断られるかもしれない。 話だって、何も聞いてもらえないかもしれない。 そういう予感もあったのだけれど、驚くほどすんなりとアポイントが取れて、一週間後に最上梨子デザイン事務所へ赴くことになった。「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」 「ありがとうございます」 事務所を訪れると、思っていたよりも小さい規模の建物だった。 私を出迎えてくれたのは、センスのいいジャケットを着た黒髪の男性だ。 年齢は私より少し上くらいだろうか。 考えてみたら最上梨子事務所のスタッフなのだから、服のセンスは良くて当然。 そしてすぐに事務所内のミーティングルームのような小部屋へ通された。 失礼ながらも部屋を見回すと、いたって普通のものしか置いていなかった。 しかも必要最小限だから、ガランとしていてとても無機質な感じがする。「どうぞ、お掛けください」 ぼうっと立ち尽くしていたところに、先ほどの男性がコーヒーを持って再び現れた。「すみません。改めまして、リーベ・ブライダルの朝日奈と申します」 私が自分の名刺を差し出すと、その男性は笑顔で受け取ってくれた。 そして男性も胸ポケットの名刺入れから名刺を取り出して、私に差し向ける。「最上梨子のマネージャーをしております、宮田(みやた)と申します」 名刺には『 宮田昴樹(こうき)』と、名前が記されていた。
「あ……お恥ずかしい限りです」 穴があったら入りたい気分だった。 いきなり会話の冒頭でその話題になるとは思ってもみなくて。 本当に恥ずかしくてたまらない。 どんどんと顔が赤らんでいくのが、自分でも手に取るようにわかるくらい。「どうしてですか。あの記事の方だから、お会いしてみようかと思ったのですよ?」 部長の策略に引っかかったことが、意外にもこんなところで役に立っている。 仕事に繋がったのなら、生き恥をさらした甲斐があったかもしれない。「お願いですので……あれは忘れてください」 「忘れませんよ。そんなのもったいないです」 私が恐縮しているのが可笑しいのか、笑いながら朗らかな空気を作り出してくれる宮田さんは、大人で紳士で素敵だ。「では、本題に入りましょうか」 「はい、実は最上さんにデザインをお願いしたいものがありまして」 私はバッグから書類を取り出してテーブルに置き、宮田さんの目の前に並べた。 そして私が思い描いているドレスのイメージとコンセプト、ゆくゆく企画にしたいと思っている全体プランを、できるだけわかってもらえるように懇切丁寧に説明を繰り返す。 宮田さんはその書類を無言で見つめ、しばらくしてから口を開いた。「朝日奈さんの企画の趣旨はわかりました。だけど、最上はブライダルドレスのデザインの仕事はしたことがありません。本当に最上でよろしいのですか?」 その質問に、私はパッと顔を上げる。そして大きく息を吸い込んで意気込んだ。「デザインをお願いするなら最上さん以外考えられません。どんなドレスをデザインされるのか、考えるだけで舞い上がりそうになります。私は最上梨子というデザイナーに惚れこみました。あの方の才能溢れるセンスなら、どんなものでもデザインできると、勝手ですがそう信じています」 「……」 「できるだけのことはこちらもしますので、是非一緒に仕事をさせていただきたいのですが」 自分の思いのすべてとはいかなかったが、三分の一くらいは言えただろうか。 少なくとも、私の情熱だけは伝わったかな。 ふと目線をあげると、机に頬杖をついた宮田さんとバチっと目が合った。 さっきは頬杖なんてしていなかったのに……。なんだか今までと雰囲気が違う。「できるだけのこと、してくれるんですか?」 「えぇ……私にできることでした
「こちらの要求は、たったひとつ。“ 秘密を守ること ” その一点のみです」 「秘密?」 「むずかしく言いましたが、あなたが誰にも他言しなければいいだけのことなのですよ」 「はぁ……」 「会社にも友人にも家族にも、です。できますか?」 秘密にしたい内容はさっぱり見当もつかないけれど。 とにかく、誰にも言ってほしくないことがあるらしい。「あなたが秘密を守れるというならオファーをお受けしましょう。守れないというなら、この話はなかったことに」 「え?! 守ります! 絶対秘密にします!」 「あなたが約束を破って他言した場合、こちらも一方的に仕事の契約は反故にします」 私を見つめる真剣な漆黒の瞳。油断したら吸い込まれてしまいそうだ。「わかりました。私を信じてください」 どんな秘密か知らないけれど、私が一切他言しなければいいのだ。 ただそれだけでオファーを受けてもらえるのなら、こんなに容易いことはない。 というか、そこまで厳重に守らなければいけない秘密って……。「では、ついて来てください」 言うが早いか宮田さんがおもむろに席を立つ。一体どこへ行くのだろう?「え? どちらに?」 「最上に会わせます」 「本当ですか?!」 最上梨子……本人に会える! どうやら私は第一関門を突破できたみたいだ。 宮田さんは、私を最上さんに会わせてもいいと思ってくれたのだから。 認められたと思うと嬉しすぎて、宮田さんが後ろを向いている隙に小さくガッツポーズをした。 実際に会う彼女はどんな感じの女性なのだろう? 綺麗な人かな? とてもキュートで可愛い人? つかのまの移動の間にあれやこれやと想像が膨らむ。 宮田さんの後をついて行くと、彼は事務所の最奥にある正面の部屋をノックもせずにガチャリと開けた。 広い部屋。それが第一印象だった。 入ったところの正面に、大きなガラスのテーブルと高級そうな黒いソファーがどーんと置いてある。 どちらもセンスがいい。 というか、この部屋の空間全部のセンスがいい。 ――― さすがは最上梨子。 ここは彼女が実際に使っている部屋なのだろうか。 仕事用のデスクも奥にある。入った瞬間、雰囲気的にアトリエのような感じがした。 部屋に入るなり、宮田さんなに
「宮田さんも来てたんですね」 真っ赤な顔でもじもじとする私をよそに、ひとりの女性が近づいてきて宮田さんに声をかけた。 高めの甘ったるく鼻に抜けるような、かわいらしい声だ。 赤い顔を見られるのが恥ずかしくて女性から視線を逸らせていたけれど、少し落ち着きが戻ったところで、そっとそちらを伺い見てみると…… 私が最初に綺麗な人だと目を奪われたモデルの、ハンナさんだった。 間近で見るハンナさんの美貌たるや、その光は強烈で。 肌も綺麗でスベスベそうだし、なんせ手足が細くて長い。 それに、誰もが美人だと評価するだろう彼女の顔は、美しすぎる。 目鼻立ちがはっきりしていて、まるで花が咲いたようだ。 私の目だって、マチコさんによって今日は相当大きくしてもらっているけど… そんなのと比べ物にならないくらい、彼女の目は元々が大きい。 こんなに大きな目の女性が、世の中にいるなんてと、思ってしまうくらい。「うん……そう」 「ハンナのことに気づいてたのに、宮田さんってば声かけてくれなかったでしょー?」 「人気モデルのハンナちゃんに、気安く声なんてかけられないよ」 「えー、なんでぇ~?」 少しばかり拗ねたようなセリフを言う彼女の表情がまた、見事にかわいらしさを演出している。「えっと……こちらは? お仕事関係のスタッフの方?」 彼女の大きな瞳が綺麗すぎて、吸い込まれそうだなと思っていたら、突如彼女が私に笑顔を向けてきた。「初めまして。リーベ・ブライダルの朝日奈と申します」 “お仕事関係”と先に言われたものだから、会社名を名乗ると彼女の顔がパーッと明るくなった。「ブライダル?」 「今度最上さん、ブライダルドレスのデザインやるから」 宮田さんが彼女にそう説明すると、にっこりと嬉しそうな笑みを浮かべた。 またその笑顔の威力といったら、誰でもが卒倒しそうなくらい綺麗だ。「えー、すごい! ハンナ、最上さんのブライダルドレス着たいなぁー! 宮田さん、ドレスのショーのお仕事、ハンナに回してくださいよー」 キャッキャと飛び跳ねるようなリアクションを見せたかと思うと、ハンナさんは宮田さんの腕を取り、ねだるようにベタベタとし始めた。 誰もが卒倒しそうな笑顔で誰もが目を引く美貌の持ち主である彼女に、こんな振る舞いをされてはなびかない男なんてい
「岳は今、二十九歳だから……八年前は二十一歳の大学三年かな。朝日奈さんが岳に一目惚れしたのはその頃か。たしかに昔からイケメンで、大学でもよくモテてたもんなぁ、岳は」 「一目惚れって。でも……あの頃は二十一歳だったんだ」 私が見た若かりし頃の彼の姿は、いとも簡単に鮮明な映像として私の頭の中で再生される。 今の今まで、歳も名前も、どこの誰かわからなかったのに。 私が当時視線を釘付けにされたのは、二十一歳の二階堂 岳という名のモデルだった。「岳にもう一度会えて……うれしい?」 「うれしいというか、懐かしいです」 あの頃より一段と大人の色気を増した今の彼の姿を見ることができたのは、正直うれしい。 だけど、それ以上に懐かしさがこみ上げた。「言わなくて良かったの?」 「なにをですか…?」 「八年前に見かけてることとか……好きです、みたいなこととか」 「あはは。なにか言えば良かったですかね。偶然の再会に驚きすぎて、緊張しちゃって、そんなこと忘れていました」 私が笑いながら冗談でそう答えても、宮田さんは不機嫌そうな表情を戻そうとしなかった。 それどころか、さらに険しさが増した気がする。「今のは冗談ですよ。前にも言ったでしょう? 現在の彼の姿をもう一度見れたらそれで満足だって。今はすごく懐かしい気持ちでいっぱいで、それだけでいいんです」 その言葉に嘘はない。 今の私は二階堂さんに対して“懐かしい”という気持ちが大半を占めている。 好きだの、告白したいだの、間違ってもそんな気持ちは今は全然ない。 当時十八歳の私が、二十一歳の彼ときちんと出会って恋をしたならば、それはわからなかったけど。 あれから八年経ったのだから、――― 今は今だ。「朝日奈さんが八年間会いたいと思ってた男が、僕の知り合いだったなんて。世の中狭いっていうか、何ていうか……」 「ですね」 「しかも、相手は岳かぁ……強敵すぎて勝てる気がしない」 「……は?」 「でも、悪いけど諦めないよ。朝日奈さんのことは、そんなに簡単に譲れない」 普段とは違う真剣な表情で見つめられると、ドキドキが止まらない。 なのにその上、宮田さんは私の左手を取り、手の甲にそっと唇を落とした。 その行為が男の色気を含んでいて、心臓が一瞬止まるかと思うほどドキっと跳ね上がり、顔が紅
「ふたりともどうしたの? 俺が何か?」 私たちの様子に、二階堂さんが首をかしげる。 私のせいで突然場の空気が変わったのだから、なぜだろうと思うのは当然だ。「いや、別に。何でもないよ」 宮田さんがすかさず笑顔を戻して、その場を取り繕ってくれる。 この人の性格上、正直にこの場で言ってしまうのかと思ったけれど、さすがに宮田さんはそれをしなかった。「ところで、朝日奈さんは昴樹くんの彼女?」 再び屈託の無い爽やかな笑みで、二階堂さんが質問を投げかける。「……うん。そう」 宮田さんが口にしたその肯定の答えに、私は目を丸くして驚いた。 だって、マチコさんに聞かれたときも、香西さんに聞かれたときも、違うってそこは否定していたのに。「宮田さん、違いますよね」 私が眉根を寄せてそう言うと、二階堂さんがケラケラと笑う。「なんだ、彼女じゃないんだ」 「うーん……今はまだ違う。だけど岳には渡さないよ」 一瞬、そこで会話が止まった。 だって、宮田さんが最後に真剣にそんなことを言うから……。「まさか、俺が昴樹くんの好きな女の子を横取りするとでも?」 「彼女、かわいいからね。たとえ岳でも警戒しないと」 「うわ、ベタ惚れじゃん」 二階堂さんの表情が、まだ笑顔でホッとする。「宮田さん、いつもこうなんですよね。冗談ばっかり」 私はなんとかそう言って、笑みを顔に貼り付けた。 穏やかな空気を作って、ここは乗り切るしかないから。「朝日奈さん、昴樹くんは冗談なんかで言ってないよ?」 「……え」 「大真面目に言ってる」 「……」 二階堂さんにそう言われ、宮田さんを見ると、漆黒の瞳と視線がぶつかる。 私が『冗談ばっかり』って言ったことなのか、もしくは別の事が気に入らないのかはわからないけど、微かに仏頂面だ。「昴樹くん、確かに朝日奈さんはかわいいけど……俺みたいな初対面の男にまでいちいち妬いてたら疲れるよ?」 仏頂面をなだめるように、二階堂さんは冗談めかして宮田さんを肘でつついた。「じゃ、俺はお邪魔みたいだから消えます。昴樹くん、またね」 二階堂さんは大人だ。 最後まで爽やかな笑顔を残して私たちの元を離れていき、違うグループの談笑に混じっていった。「“初対面”じゃないって」 自然と二階堂さんの背中を目で追ってしまっていた私の隣から
「あ、紹介するよ。こちら、二階堂(にかいどう)岳。彼もデザイナーなんだ。六年前からアメリカに行っちゃって滅多に帰ってこないから、僕も会うのは久しぶりなんだけど」 そう紹介された二階堂さんが、私ににっこり微笑んだ。「初めまして。二階堂です」 「朝日奈……緋雪です」 自己紹介する声が震えた。 彼の綺麗な笑顔が、私にその事実を決定づける。 彼は……きっとあの人だ。 私が八年前にチャペルで見かけた、名前も知らない綺麗な男性モデル。 八年ぶりに見た彼はビックリするほど大人になっていて、男の色気がふんだんに振りまかれていた。 だけど笑った爽やかな顔は、当時のままだ。 ずっとまた会いたいと思っていた憧れの人に、再び偶然会ってしまった。 どうしてそれがここで、今日なのだろう。 そのことが信じられなくて、私は視点が定まらず、挙動不審になってあわてた。「朝日奈さん?」 「ごめんなさい。なんでもないです」 「そう? えっと、どこまで話したっけ。そうそう、岳とは同じ美大のデザイン科だったんだ。彼のほうが二歳年下だけど。今もカッコイイけど、昔から岳はイケメンで。そうだ、たしか昔はモデルもやってたって言ってなかったっけ?」 「うん、ちょっとだけ。バイトだよ。もちろん今はやってない」 ……昔、モデルをやっていた。 今のふたりの会話が、私にとっては決定打だ。 会いたかった人にやっと会えたのだから、私も極上の笑みを彼に向ければいいのに。 なぜだろう……それが出来ずに苦笑いになる。 上手く笑おうとすると、動揺で顔が引きつりそうだ。 ずっと彼の顔を見ていたい衝動にかられるけれど、見入ってしまえば緊張で手が震える。 震える手元を見られたくなくて、私は持っていたお皿とグラスをすぐ傍のテーブルの端に置いた。「どうしたの?」 私の様子がおかしいと気づいたのか、宮田さんがもう一度そっと声をかける。「どうもしないですよ」と、愛想笑いをしながら首を横に振ってみたけれど、彼は怪訝な表情で私にじっと視線を向けていた。 この漆黒の瞳に射貫かれると、なにもかも見透かされそうだ。 「もしかして……」 「……え?」 「岳がそうなの?」 「……」 ほかの人が聞いても絶対にわからない質問内容だったけれど、私には彼がなんのことを言っているのかす
宮田さんが適当においしそうなお料理をお皿に取り分けて、私にそれを手渡してくれた。 こんな豪華すぎるパーティに来たのも初めてならば、男の人にこうやってお料理を取ってもらうことも初めてだ。 私に一目惚れをしていた、みたいなことも言われたし……。 先ほどから緊張とドキドキで、どうにかなりそう。 だけど浮き足立ってばかりはいられない。 お皿はきちんと持って、こぼさないように注意しないと。 私の不注意でこのドレスを汚してしまうことだけは避けなければいけないから。「このお肉にかかってるソース、おいしいよ」 隣に居る宮田さんは、無邪気にそんなことを言いながらお肉を頬張る。 つい先ほどまで照れていたのに、今はもう何食わぬ顔だ。 私もそろそろ、意識しすぎるのは疲れるからやめよう。 ひとつ大きく深呼吸をして、何気なく会場内を見渡したときだった ―――「……え……」 私はとある一点を見つめたまま、動けなくなってしまった。 一瞬で、あの人だとわかったのに…… もうひとりの私が、そんなはずはないとそれを打ち消す。 ……きっと違う。似てるだけで別人だ。「朝日奈さん? どうしたの?」 じっと一点を見つめたままの私に、隣に居た宮田さんが不思議そうに声をかける。 そして、私が見ている同じ方向に、なにがあるのだろうと視線を移した。「……あ、岳(がく)だ」 隣でそう呟いた宮田さんに、驚いて今度は私が宮田さんを見上げる。 彼はいつも通り人懐っこい笑みを浮かべていて、視線の方向は変えないままだ。「おーい、岳ー!」 軽く手を上げて、その視線の先にいる誰かに無邪気に合図を送る。 もしかして、私が見ていた人と宮田さんが合図している人は違うかもしれない。 そう思ったのに…… 宮田さんの声と合図に気づいてこちらに近づいてくる人は、スラリとした長身のイケメンで、偶然にも私の視線の先にいた人と同じだった。「お知り合い……ですか?」 そっと宮田さんにそう尋ねると、笑顔で「うん」と首を縦に振る。「昴樹くん、久しぶり!」 「うん、久しぶりだなぁ! 岳に会えるなんて思わなかった」 「なんかカッコよくなってんじゃん。ワックスで髪遊ばせてるし」 「なに言ってんだよ、岳のほうがよっぽどイケメンのくせに」 久しぶりに会ったらしい二人は、再
でも、ちょっと待って。 あの雑誌の中の私を見て、デザインを描き始めたっていうの? あの時点では、私たちがこうして仕事上繋がりができるなんてまだわからなかったのに。 宮田さんのほうから私に接触を試みたならまだしも、最上梨子にブライダルドレスのデザインを依頼するためにアポを取って接触したのは私のほうだ。「朝日奈さんと初めて会ったとき……大袈裟かもしれないけど運命だと思った。僕が一目見て、想像を掻き立てられる女性が雑誌の中にいたと思っていたら、その一週間後に実物が目の前に現れたんだから」 にわかに信じがたいことを、宮田さんの口から語られる。 私は唖然と聞いているしかできないでいた。「初めて会った日、いつか僕のデザインしたドレスを着てもらえたらなって思った。実際に採寸したわけじゃなかったから、詳しいサイズはわからないままだったけど、朝日奈さんと同じ身長の女性の平均的なサイズでパタンナーに依頼をかけたんだ。縫製は僕も少し携わった。だからこんなに早く仕上がったんだよ」 初めて会った日に、私の身長から大体でサイズを決めたの? そんなにアバウトに型紙を起こしてしまって、実際にサイズが合わなかったら……。 というか、着る機会さえなかったら、どうしていたんだろう?「ちょうどドレスが出来上がったときに、香西さんからこのパーティの招待があってね。朝日奈さんが一緒に行ってくれるなら、このドレスを着てほしいと思った」 「でも、あの試着のとき……宮田さんはどれでも私が好きなのを選んでいいって」 「そうは言ったけど……僕は最初からこのドレスをさりげなく勧めるつもりだったよ。だって僕にとっては自信作だし、こんなに似合うんだから」 そう言って、サラリとドレスのスカートの部分に触れられて、ドキっと心臓が跳ね上がる。「今気づいたんだけどさ、こういうの、ほら……アレだよ、アレ」 「なんですか?」 「一目惚れ」 自分から言ったにも関わらず、宮田さんは照れたのか顔を赤くする。 私に一目惚れ? ………信じられない。 なんとなくあいた間が嫌で、ドッキリですか?と冗談めかして言おうとしてやめた。 だって…… 赤くした顔をプイっと逸らせて恥ずかしそうにする彼を、不覚にも素敵だと思ってしまったから。
それに……以前に宮田さんが言っていた言葉をふと思い出した。『このドレスもネックレスも、朝日奈さんしか着ないし付けないし。ほかの人は誰であってもこれを身につけるのは僕が許さないよ』 たしかに……そう言ったんだ。 まるでドレスが、元々私のものであるかのように。「あの……宮田さん……」 目の前に広がる美味しそうな料理を堪能しようと、白いお皿を手にした宮田さんにそっと声をかけた。「どうしたの?」 「さっきのことなんですけど」 「ん?」 ほんの数分前の出来事なのに、香西さんとの会話の内容は頭からすっかり抜け落ちたみたいな反応だった。「さっき香西さんに仰っていたことです。このドレスが……私のためのものだ、って。本当ですか?」 「あー……うん、そう」 頷くように首を縦に振った宮田さんは、また少し顔を赤くした。 それは先ほど香西さんに見せたものと同じ顔だ。「でも、事務所で試着したときには、ひと言もそんなこと言わなかったじゃないですか。あのとき、私の体のサイズでも入るドレスを出してきてくれただけだとばかり……」 このドレスを試着する前、宮田さんは私の肩と腰に触れて体格を目で測っていたはず。 あの計測の元、このドレスが選ばれたんじゃなかったの?!「恥ずかしかったんだよ。特定の人をイメージしてドレスを作ることなんて今まで散々やってきたのにね。好きな女性に着てもらうために、ドレスを一から制作したのは初めてだった。でも……君のために作ったよ、って堂々と口にするのは、いざとなったらなんだか照れくさくてさ」 「ちょっと……待ってください」 信じられない。 本当に私をイメージして、一から作ったって言うの?「いくらなんでも、出来上がるのが短期間すぎます。私と出会う前からデザインを描いていたとしか考えられませんけど……」 私の存在など関係なしにデザインが描かれていたならば、私をイメージして……というには語弊があると思うけれど。「デザインは、朝日奈さんと出会う前に描き終わってたよ」 「……え?」 「ほら、雑誌。あの紙面の中の朝日奈さんを見ていたら、このドレスのデザインがどんどん頭に浮かんできちゃってね」 そうか、あの……雑誌。 袴田部長に騙されて受けた例の取材のときのやつだ。
「売り出したり、ショーに出す予定はないですよ」 「は? どうしてだ? ここまで良い出来なのに」 「元々そういうつもりで作ったものじゃないからです」 宮田さんの発言には、香西さんも驚いたように目を丸くして黙り込んでいた。 私もそれには激しく同意で、じゃあなぜこのドレスを作ったのかと不思議に思う。 たまたま良いデザインが描けたから? だったら、ショーに出してお披露目してもいいはずなのに。「え……そういうことか?」 「……はい」 「彼女のために?」 「はっきりそう言われると照れますけど」 今の二人の会話は、一体どういうこと?? 照れる、と言った宮田さんを見ると少し顔を赤らめていて、私だけが会話の意味がわからずにポカンとしてしまった。「だからか。サイズも、彼女の雰囲気にも、ドレスがぴったりと当てはまってるのは」 「えぇ」 「最上梨子に全身包まれてる、って感じだな。朝日奈さんは君の愛がたっぷりと込められたドレスを着ているわけだ」 微笑ましいものを見るように、香西さんは私と宮田さんに笑顔を向けるけれど。 私の脳はそれを理解する処理が非常に遅くてついていけない。 香西さんがほかのパーティ客に挨拶するために私たちの元を離れたあと、やっと言われてる意味がわかりだした。 宮田さんは、このドレスを……… ――― 私のためにデザインし、作ったということ? 隣にいる宮田さんをそっと盗み見るけれど、既にその表情はいつも通りの飄々としたもので、本当はどうなのか、何を考えているのかは私には読めない。 だけど、香西さんと宮田さんの会話を頭の中に再び思い浮かべて考えてみると、どうしても先ほどの結論に至る。 いや、でも……それはありえない。 いくら遊び感覚で作ったものだと言っても、私のイメージに合わせてデザインを考え、パタンナーに型紙を起こしてもらい、縫製をしてだなんて……。 例えこのドレスが慌てて作ったサンプル品だったとしても、仕上がってくるまでの期間が短すぎる。 私と宮田さんは、初めて顔を合わせてから一ヶ月と少ししか経っていない。 百歩譲って私と初対面の日からデザインを考え始めたとしても、私が先週デザイン事務所の衣裳部屋を訪れたときには、すでにあそこの部屋にこのドレスは存在していた。 こんなに完璧に、きちんと縫製されて
「こちらの可愛らしい方は? 君の恋人?」 私に視線を移し、香西さんが紳士的で素敵な笑みを浮かべる。「そうだといいんですけどね。残念ながら違います」 「でも君が女性と一緒だなんて初めて見たよ。君は本当は男が好きなんじゃないかって、俺は疑い始めてたんだけどね」 「冗談じゃないですよ。やめてください」 宮田さんがそう答えると、香西さんは愉快そうにワハハと笑った。 本当にあったんだ……ゲイ疑惑。「初めまして。リーベ・ブライダルの朝日奈と申します」 「どうも。香西です。……リーベ・ブライダルさん?」 「実は今、ブライダルドレスのデザインをやってるんです」 その宮田さんの言葉に、ハッと驚いて視線を向けた。 彼は今、『僕』と名乗ったから。 今の発言は……大丈夫なんだろうか。「あ、大丈夫だよ。香西さんは僕の正体を知ってるんだ」 「そ、そうだったんですか」 咄嗟に宮田さんが失言したのかと思った。 自分が最上梨子であると、口を滑らせたのかと思ったのだけれど違ったらしい。 ホッと胸を撫で下ろす。焦って損した。 びっくりするから、そういうことは事前にこちらに言っておいていただきたい。「君の恋人じゃないなら、俺が彼女の恋人に立候補しようかなぁ」 楽しそうな笑みを貼り付けて、香西さんが腕組みをしながらそんな冗談を言う。「ダメですよ。僕が口説いてる最中なんだから」 いや、口説かれている実感はあまりありませんよ。 からかわれている実感なら十分ありますけど。「口説くのに、順番なんてあるのか?」 「ていうか、香西さんには綺麗な奥さんがいるでしょ!」 「あれ、そうだったか」 「そんなこと言ってても奥さんにベタ惚れなの、知ってますからね」 宮田さんがムッと口を尖らせてそこまで言うと、香西さんは再び噴出すように笑った。 いつも私をからかってばかりの宮田さんが、香西さんと話していたらからかわれる立場に逆転だ。 そんな珍しい姿を見ると、おかしくて私も笑みが零れる。「冗談冗談。君が彼女を好きなのはすぐにわかったよ。今日の彼女、君のトータルコーディネートだろ?」 そう言いながら、香西さんは私のドレスのほうへ視線を下げる。「いいじゃないか、このドレス。もしかして……これか? 最近作った自信作っていうドレスは」 「はい。そうです」